風土

を訪ねて

結局ずっと
そばにいるから
なんですよ。
磯蔵酒造

5代目蔵主磯 貴太

茨城/笠間
発酵と人

「発酵」とは、今も昔も人とともにあるもの。
人は発酵を活かし、発酵に生かされてきました。

この「発酵風土」は、各地につづく発酵の歴史に触れようという試みです。今回は、茨城県・笠間市で明治元年から続く酒蔵「磯蔵酒造」を訪ねました。

霧と霜を抜けて

都心を出発したのは、朝5時前。
「酒蔵の朝は早い。」と聞いて、急いで出発したのでした。

前日が少しあたたかかったせいか、辺りには薄く霧が立ち込めています。
それでも朝日のオレンジは、煌々とアスファルトを照り付け、途中、凍えそうな窓際の手指を、じんわりとあたためてくれました。

やがて、霜が降りて真っ白な畑を抜けていくと、
御影石(みかげいし)の産地としても知られる笠間市の稲田にたどり着きます。

白い景色に、1日が始まるときの真っさらな気持ちを重ね、
「これから、どんな様子が見られるのだろうか。」
と、一人うずうずしているのでした。

ここが、明治元年から156年続く磯蔵酒造です。

すでに中では、日本酒を造る職人(蔵人ーくらびとー)たちが
忙しなく動き回っていました。

煙突からは、もう空高くまで湯気が立ち昇っています。

お酒は
神様が作るものだと
思われてたんですよ。

神様から引き継いだ仕事

蔵の中へと招き入れてくれたのは、五代目蔵主の磯貴太さん。
足を踏み入れると、まず大きなしめ縄が目に入ります。

「“発酵”っていう概念がまだ無かった時代、お酒はどうやってできるものだと思われてたか知ってる?神様が造るものだと思われてたんですよ。本当は菌のおかげなのにね(笑)。だけど、そう信じられてた。だから、酒蔵は神様の領域。その名残りで、蔵の入り口には神様の結界として、しめ縄があるんですよ。」

今はその神様の仕事を、菌と蔵人たちが引き継いでいます。

足を進めると、今度は胸がいっぱいになってしまうようないい匂い。
「お米が炊き上がったときの、あの匂いがします。」
「炊いてるんじゃなくて、蒸してるんですよ。今日は100キロちょっとかな。」

大きな釜で蒸される、大量の米。
立ち込める、白い雲のような湯気を見ながら、今朝の霧のことを思い出していました。

「そうそう、今日は霧がかかってるでしょう。寒暖差があると、夜中から朝までの温度の調整も大変なの。とにかく酒蔵は24時間仕事なんですよ。常に菌が“どういう状態なのか”“何をして欲しがってるか”をチェックして対処する仕事だからね。俺も含め、蔵人は全員ここに住んで、酒と一緒に寝起きしてるわけですよ。」

これから、釜の中の蒸し米を運び出して「路地放冷(熱々のお米を広げて適温まで冷ます)」するのだといいます。
時間きっかりに、蔵人たちが集まってきました。

「蒸し上がった米を冷ます作業をやるんだけど、速さも重要なの。米を掬って、肩に担いで走って運んでいく。熱いし重いし体力の要る仕事だけどね。そのためにみんな鍛えてるし、この作業でまた鍛えられる。『ちょっと、やってみよう』では、酒造りはなかなかできないんですよ。」

冬の厳しさ、夏の厳しさ、米の熱さ、肩にのしかかる重さ。
それらに耐え抜き、手を動かし続ける蔵人たちによってのみ、「うまい酒」は生み出されるのでした。

結局ずっと
そばにいるからなんですよ。

そばに居てやること

磯さんに、ひょいひょいと手招きされます。
「これ食べてみる?」

そう言って、蒸し米をひとくち分けてくださいます。炊いたお米よりも歯ごたえがあって、そのぶん長く噛んでいると、じんわりと甘みが口の中に広がっていきます。

「年によって米の出来ってちがうんですよ。だけど、毎年同じ味の酒を造んないといけないでしょ。毎日の気温や湿度が違っても、環境が変わる中でも、俺たちはずっとずっと同じ味を生み出し続ける。じゃあなんで、そんなことができるのか。それは、俺たちがその時々の状況に合わせて技を変えるからなんですよ。やっぱり菌の近くにいて、菌が何をして欲しがってるかを五感で感じ取るのが1番大事なことなの。」

発酵を扱うため、もちろん数学やバイオテクノロジーの知識も必要になってくるといいます。

「それでもやっぱり、教科書の勉強以上に必要なのは経験。親と赤ちゃんの関係にとっても似てるんですよ。赤ちゃんって喋らないのに、特に母親は誰よりも先に『お腹すいてるのね』『具合が悪いのね』ってわかるじゃないですか。結局ずっとそばにいるからなんですよ。
ずっと抱いて、匂いを嗅いで、表情を見て、泣き声をいつも聞いてるからなんだよね。
俺たちも菌っていう、喋らないものを相手にしてるので、どれだけ菌のそばにいるのかが本当に大切。泡がふわふわになってきた、かさぶたのようになってきた、匂いが変わった、味が変わった、とかね。最近で機械でデータを取って管理もしてるけど、菌にも個性があるから、やっぱりいちばん肝心なのは人の五感ですよ。そばにいてやることが何より大事なの。そうすれば、すぐに気付いて手当てしてあげられるでしょ。」

俺たちが旨いと思ってる
この味をみなさんに
提案したいんだよね。

酒造りのプロとして

まさに子を育てるように、手塩にかけて生み出していく酒蔵の仕事。

「日本酒って2回発酵させる変わった飲みもので、まず1度目は菌の力を使ってお米の持ってるデンプンを糖に変える発酵。それで生まれた糖を使って、今度はアルコールを作っていく発酵。2種類の菌を使って2つの発酵をさせるっていうのが、日本酒造りのおもしろさなんだよね。食べものを腐らせんのも酵母菌の仕業だし、発酵でうまくするのもまた酵母菌の仕業。多々ある菌の中から、お酒を美味しく発酵させるやつだけを俺たちは選んで酒を造らせるんだよね。」

工程も多く、繊細な作業も多い酒造りのなかで、「いちばん苦労すること」を聞いてみました。

「それはやっぱり、味を守り抜くこと。今は、大きい会社が機械を使ってバンバン酒を作る時代だからね。『今年は、こんな味に仕上がりました』でいいなら、酒は誰にでも造れる。だけど俺たちにとって大事なのは、やっぱり守り抜いてきたこの味だから。“みんなに好かれる味”じゃなくて、俺たちが旨いと思ってるこの味をみなさんに提案したいんだよね。だからこそ毎年同じ味を作んなきゃいけない。俺たちはプロだからさ。厳しい時期も、真面目に丁寧にやり続ける。そうやって生まれた酒で、 世の中が楽しくなればいいよね。酒を酌み交わしながら、楽しいことを誰かと分かち合ったり、悲しみを分けあったりね。そういう人間の気怒哀楽のお手伝いができたり、人と人との潤滑油になってくれれば、うれしいなって思いますよ。」

俺は発酵の可能性を
信じてるんだよね。

発酵とは——

日本酒のおもしろをほんの少し知った今、改めて磯さんに「発酵とはなんでしょう?」と尋ねてみます。

—— 磯さん、「発酵」ってなんでしょうか?

「発酵が地球を救ってくれるんじゃないかってぐらい、俺は発酵の可能性を信じてるんだよね。
微生物、菌っていうのは本当にすごい。我々のできないことをやってくれてるわけですから。電気だって、燃料だって、発酵で生み出すことができることはもう証明されてるからね。
菌の力を大いに活用していくことは、俺たちが幸せな人生を送るために、とても有意義で重要なことだと思う。そのためには、繰り返しになるけど、俺たちが菌に言うことを聞かせるんじゃなくて、菌の言うことをいかに俺たちが聞くか、なんじゃないかな。そうすれば、いい発酵がたくさん生まれて、俺たちを本当に豊かにしてくれると思うんだよね。」

最後に、この酒蔵で生まれたお酒を持ち帰らせてもらいました。

美しく透き通った日本酒を並々と注いで、
「いただきます。」
お米の味と香りをたっぷりと感じる、上品な味わい。
舌と喉の奥で、甘み・旨味を存分に感じることができます。
これがあの酒蔵で生まれた味なのだと、あの朝のことをじっくりと思い返すのでした。

磯蔵酒造さん、どうもありがとうございました。
次の発酵の旅もおたのしみに。

取材/文 中前 結花
写真 藤原 慶