風土

を訪ねて

手間がかかりますよ。
そこから
3年ですしね。
石井味噌醸造所

6代目当主石井 康介

長野/松本
発酵と人

「発酵」とは、今も昔も人とともにあるもの。
人は発酵を活かし、発酵に生かされてきました。

この「発酵風土」は、各地につづく発酵の歴史に触れようという試みです。初回は、長野県・松本市で155年続く老舗「石井味噌」を訪ねました。

清らかな水の街で

車に揺られること3時間。
松本市の埋橋(うずはし)に到着しました。

東京よりもうんと空は高く、すぐそばで緑の山々がゆったりと寄り添ってくれているように感じます。
さわさわ、ざあざあ、と流れる川の音。

ここ松本市は、「水の郷」とも言われています。北アルプスからの清らかな恵みが、信州の味噌造りにも欠かせないのだそう。

覗き込むと、陽が反射して眩しい水面。
足元がツンと冷えるものの、いつまでも眺めていたくなるような風景がそこかしこに広がっているのでした。

川沿いをしばらく歩き、たどり着けば「信州三年味噌」の立派な看板。ここが、発酵に想いを込めて155年続く、石井味噌です。

手間がかかりますよ。
そこから
3年ですしね。

味噌を三年育てる蔵

通していただいたのは、3年間をかけて味噌が育つという蔵。
扉を開けると、ひんやりとした空気と、お味噌のほのかな香りに包まれます。
「こんなに大きいんだ。」
そこには、手を伸ばしても到底届きそうもない、背の高い杉の桶がずらりと並んでいました。

出迎えてくれたのは、30年間味噌を仕込み続けているという、六代目当主・石井康介さん。
濃紺の法被(はっぴ)が似合う、凛々しい佇まいです。

「ここで味噌に向き合い始めたのは、31歳のときでした。それまでは、東京でワインの輸入販売の仕事をしてたんですよ。おもしろいもんで、それも“発酵”ですけどね。やりがいは感じていましたよ。だけどうちは代々、稼業として味噌造りをやってきていて。5代続いてきたものですからね。非常にこだわりの強い味噌なので、苦労する商売とわかりつつも、だからこそ。なんとか繋げていきたいなという気持ちで、継ぐことを決めたんです。」

石井味噌は、国産の大豆を使った天然醸造で作られています。
昔のままの風味を大切にするため、添加物も一切使わない生味噌なのです。

「精選した国産米を蒸しあげて、そこに麹菌をつけて、2日間寝かせるんです。丹念な手入れをしたあと、できるのが米麹です。これと、煮上げて潰して冷やした国産大豆と食塩を丁寧に混ぜ込んで、杉の桶に仕込むんですよ。手間がかかりますよ。そこから3年ですしね。」

夏に発酵した味噌は、秋に別の桶へと移し替えられるそう。
ひんやりと冷える真冬の蔵のなかで、赤とんぼの舞う頃を想像してみます。

「味噌汁って身近なものですけど、きっと原料がどんなものかも知らない人が多いと思うんですよ。私だって、この仕事を始めるまで“米麹”なんて知りませんでしたから。 数十年前までは、おとなり組でみんなで作る光景があったと思うんですけどね。時間をかけて、丁寧に発酵させた味噌がどんなものか、どんな味か。やっぱり知ってもらいたいと思います。」

『これが、
手間暇かけた
意味なんだ』

発酵の香り、熟成の香り

夏の匂い、秋の匂い……。
そんなものとも疎遠になってしまった子どもたちにも、
大地の恵みが時間をかけて「発酵」していく様(さま)を感じてもらいたい。

そんな想いで、石井さんはとある取り組みをされています。

「小学校の社会科見学として、ここで子どもたちに『味噌作り体験』をやってもらってるんです。実際に出来上がった米麹に塩を混ぜてもらって、煮上がった大豆を潰してもらって。みんな独特の匂いに、最初は『臭い』だとか『やだ』だとか言ってますけどね(笑)。それをタッパーで持ち帰ってもらいます。蓋を開ければ、豆や麹の香りがしますよ。だけど夏になれば、まったく違う香りになってくるんです。それが『発酵の香り』です。色も変わってきます。秋にもなれば『熟成の香り』になって、さらに色濃くなるんですよ。」

自分の手で作った味噌を、発酵させ育てる……という貴重な体験。1年に2,000人以上の子どもたちが体験しにやってくるのだそうです。

「実際に、発酵の香り・熟成の香りを感じてもらって。その匂いや色が変わっていく様子に、『これが、生きてるってことなんだ』と実感してもらいたいんです。それでまた、完成したものを味噌汁にして飲んだら、特別に美味しいわけです。『これが、手間暇かけた意味なんだ』と体で理解してもらいたいんですよね。」

食べてもらえれば
『なるほど』と
必ずわかってもらえます。

日々の喜び、日々のこだわり

石井味噌のお味噌は、併設されている店舗やインターネットを通じて、直接お客さまの手に届くことがほとんど。

「こんなに美味しいんですね。」という声をもらうとき、そして「また食べたいので。」と繰り返し購入してもらえるとき、石井さんは、何にも変え難い喜びを感じると言います。

「今、日本の味噌の9割以上が外国産大豆でできているんです。それらを『速醸法』といって、外から熱を加えて時間を短縮して発酵させる方法で作っているんですよ。だけど、石井味噌は国産の選び抜いた材料を、『天然醸造』という昔ながらのやり方で発酵させます。杉の桶に寝かせて、暑い夏も、寒い冬も、経験させます。じっくり時間をかけて作るものですから、生産量も少ないわけです。だけど、食べてもらえれば『なるほど』と必ずわかってもらえます。そういう味噌を作ってるんですよ。」

仕込んだやつの
勝ちですよ。
本当です。

発酵とは——

お味噌のことがほんの少しわかった今、改めて石井さんに「発酵とはなんでしょう?」と尋ねてみます。

—— 石井さん、「発酵」ってなんでしょうか?

「“嬉しいことばっかり”じゃないですか。だって、大豆にしても米にしても、収穫するときは一度にたくさんワッと実るでしょう。それを人間は一度に食べることはできない。そのまま置いておけば、ただただ劣化していくだけですしね。だけど『発酵』さえさせれば、まず栄養価が高くなります。アミノ酸も増えていくから旨みだって増していく。酵素が助けになって、消化吸収も良くなっていきますしね。それに保存性も抜群。どんどん価値が高まっていくわけですよ。『発酵』はやらなきゃ損。嬉しいことばっかりなの。仕込んだやつの勝ちですよ。本当です。」

最後に、お味噌汁を一杯いただきました。
お味噌の豊かないい香り。顔を近づけただけで、冷えきった体が目を覚ましていくような感覚があります。
「いただきます。」
口にすると、奥深い旨味が舌を存分に喜ばせてくれます。
これが、発酵・熟成の成せる仕事なのだと、体でじっくりわかっていくのです。

石井味噌さん、どうもありがとうございました。
次の発酵の旅もおたのしみに。

取材/文 中前 結花
写真 藤原 慶

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